JAS Memories
= 羽田空港・成田空港 =
 
 

羽田空港の旧ターミナルビルの展望デッキから、A300とDC-9。
左奥にDC-9の旧塗装機の姿が見える。
 
株式会社 日本エアシステム

19527月 日東航空株式会社発足(大阪)
1952
9月 富士航空株式会社発足(東京)
1953
6月 北日本航空株式会社発足(東京)

1953
11月 東亜航空株式会社発足(広島)

1964
4月 日東航空・富士航空・北日本航空が合併し、日本国内航空が発足

1971
5月 東亜航空・日本国内航空が合併し、東亜国内航空が発足
1988
41日 日本エアシステムに社名変更
 

羽田空港の旧ターミナルビルの展望デッキから、夕日に映えるMD-81とA300。
 

羽田空港の新ターミナルビル出発ロビーから、レインボーカラーの機体が並ぶ光景。
 

羽田空港の新ターミナルビル出発カウンター。(現在の第1ターミナル)
 

羽田空港の新ターミナルビル到着時間表示。(現在の第1ターミナル)
 

羽田空港の新ターミナルビルがオープンする時のリーフレット。
表紙はもちろん、A300-600R。
 

羽田空港新旅客ターミナルのご案内。
JASの国内線網でボーディングブリッチ5ヶ所は少ないわ…
 

今は無き、成田空港の日本エアシステムカウンター。
 
1988年に東亜国内航空から日本エアシステムに社名変更し、世界に飛び出したレインボーカラー。
デイリー運航を果たしたソウル線こそ好調に推移していたものの、その後開設したシンガポール線・ホノルル線が
立て続けに休止に追い込まれ、JAS最大の航続距離を持つDC-10を国内線で使うほど国際線は枯渇状態であった。

そのような状況下でも、JASの世界への挑戦の灯は消えていなかった。
関西空港の開港で、関西-広州線を開設し一定の成果を見たJASは、それまで蓄えていたパワーを一気に
放出するかのように中国路線を相次いで開設。ソウル線のみだった成田空港には、香港・広州・西安
に向けて飛び立つレインボーカラーのJAS機が肩を並べ、DC-10も連日フル稼働で世界の空を飛んだ。
 

ソウル線やシンガポール線が運航されていた、初期のJAS国際線。
 

成田空港に最もJAS機が多かった時期に撮影した1枚。
 

当時のフライトインフォメーション。9:45西安・10:20ソウル・11:20ソウル…JAS便にラインを入れてみた。
 

レインボーカラーのA300-600Rが国際線に使用されていた輝かしい時代。
 
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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