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「ルマン」と聞いたたけで、たいていのマツダファンなら"総合優勝"とか"787B"などと合言葉のように思いつくだろうが、
全てのマツダファンがそうである訳もないだろうし、当然このサイトに訪れる全ての人のがルマンを知っているとも限らない。
そもそも"ルマン24時間耐久レース"とは何なのかを解らないと、このルマン特集が意味の無い物になってしまうので、
まず始めに「ルマン24時間耐久レース」とは何なのかをご紹介。
サルテサーキット
ルマンはフランス・パリの南西約200kmに位置する都市で、ここでは年に一度世界最高峰と言われる自動車レースが開催されている。
それが、ここで取り上げる「ルマン24時間耐久レース」である。
1周13.6kmのサルテサーキットを24時間にどれだけ長い距離を走れるか(どれだけ回る事が出来るか)を競うレースで、
このサーキットは、ブガッティサーキットと図中の●2km付近から●11km付近までの約9kmの公道から形成されている。
公道中に続くストレートには2ヶ所のシケインと呼ばれる人工的なカーブが作られているのだが、
これは減速・徐行させるために急角度のカーブを設けたもので、シケインが完成する1990年以前は約6kmの直線が続いていたという。
この「ルマン24時間耐久レース」には非常に長い歴史があり、1923年から開催されている伝統ある自動車レースである。
そのルマンにマツダのエンジン搭載車が初めて登場したのは1970年の事で、ベルギーのチームがシェヴロンに、
マツダの10Aロータリーエンジンを搭載し参戦したのが最初で、この年からロータリーサウンドがこの地に響いていた事になる。
シグマMC74マツダ
そして、マツダスピードがチームとして初めて参戦しルマンを走ったのは1974年の「シグマMC74マツダ」である。
シグマ・オートモーティヴのマシンにマツダスピードの前身のマツダオート東京がチューンした12Aが搭載され、
一応24時間は走りきったのだが、規定周回数に及ばず完走とは認められなかった。
1979年、マツダスピードとして初エントリー。
そして、実際にマツダスピードエントリーのマツダ車が初めて参戦したのは1979年の事で、
初代サバンナRX-7をベースに13Bをチューンし参戦したが、予選通過ならずあえなく敗退。
マツダスピード初完走の'82年の82号車
ちなみに、マツダスピードエントリーのマツダ車が初めてルマンで完走を果たしたのは1982年の事で、
マシンは初代サバンナRX-7をベースに13Bをチューンしたマシンで、成績は総合14位だった。
ルマン日本車初完走のサバンナRX-7
また、ルマン日本車初完走もマツダ車で実現されており、1980年にZ&WエンタープライズがエントリーしたサバンナRX-7がそれである。
このレースでは、マシン自体の速さだけでなく、長時間に及ぶ耐久性やドライバーのテクニックなど全て面が噛み合わなければならず、
もし順調にレースを運んでいたとしても、たった1つのミスでリタイアを余儀なくされる大変シビアなレースで、
一度ピットを出たら1周13.6kmもあるため、もし周回途中でトラブルが起きてもメカニックが手を出せない難しさもある。
そのため、1度や2度参戦しただけでは完走さえも難しいとされており、それが世界最高峰と言われている由縁でもある。