韓国の起亜自動車では、マツダとの技術提携が行われる以前の3輪トラックの時代から、
マツダが開発した車のノックダウン生産や、マツダ車をベースにした車の生産が行われた。
このページでは、マツダが開発したモデルを中心に起亜自動車の歴史をご紹介します。

              

     ■起亜自動車とマツダの歴史

西暦 年号 ※掲載されている画像はベースとなったマツダ車のものです。
1944 昭和19年 12月 起亜自動車の前身「京城精工梶v創立。
1962 37年 1月  マツダ製3輪トラック「K360」「T600」生産開始。
    4月 起亜産業に社名変更。
1971 46年 9月 東洋工業と技術提携。「E2000」「E3800」の生産開始。
1973 48年 8月 小型トラック「ブリサピックアップ(日本名:ファミリアトラック)」生産開始。
1974 49年 10月  「ブリザ1000cc(日本名:ファミリア)」生産開始。
1976 51年 12月 「ブリザU1300cc(日本名:グランドファミリア)」生産開始。
1980 55年 9月  
1981 56年 2月 中小型貨物自動車及びバス専門メーカーの指定を受ける。
    8月  2代目ボンゴバンベースの「ボンゴコーチ」生産開始。
    12月 初代ボンゴトラックベースの多目的農業用トラック「セレス」誕生。
1983 58年 5月 東洋工業(8%)及び伊藤忠商事(2%)と資本提携契約締結。
1986 61年 3月  
    5月 フォード(10%)が資本参加。
1987 62年 1月  
    10月  4代目カペラベースの「コンコード」誕生。
1988 63年 7月  初代タイタンベースの「トレード」誕生。
1989 平成元年 2月  6代目ファミリアベースの「キャピタル」誕生。
    6月 起亜産業が製造したフェスティバの5ドア仕様をマツダが逆輸入し、日本国内で「フェスティバ5(ファイブ)」として限定販売。
       台湾へプライドの輸出を行う。
1990 2年 3月 起亜自動車に社名を変更。
1992 4年 4月 起亜自動車椛S額出資の日本法人「起亜ジャパン」設立。
    5月  5代目ルーチェベースの「ポテンシャ」誕生。
    7月 起亜産業が製造したフェスティバの4ドアセダンをマツダが逆輸入し、日本国内で「フェスティバ4ドアβ」として販売。
1994 6年 1月  2代目フェスティバベースの「アベラ」誕生。マツダと同じ3ドアに加え5ドアもデビュー。
1995 7年 6月  クロノスベースの「クレドス」誕生。
    9月  2代目フェスティバベースの「アベラ」に起亜独自モデルの4ドアセダン追加。
    11月  3代目ボンゴベースの「プレジオ」誕生。
1997 9年    2代目センティアベースの「エンタープライズ」誕生。
    4月  ボンゴブローニィトラックベースの「K2700」誕生。
      7月 起亜自動車倒産。
現在でも会社は存続しているが、韓国・現代自動車傘下(ダイムラークライスラー系)のメーカーとなっている。

     ■現地価格 (1980年代)

プライド(1.1)
プライド(1.3)
375.3万〜410.1万ウォン
384.8万〜469.6万ウォン
コンコード(2.0ディーゼル) 973.1万〜1324.0万ウォン
ベスタコーチ(12人乗り) 783.5万ウォン
ボンゴK-2400(1t積) 508.6万ウォン

     ■起亜の株主構成

1980年代、ちょうどフォードが資本参加した直後の起亜産業の株主構成は以下の通り。
ソウル信託銀行と新たに資本参加したフォードが共に10%で筆頭株主。次いで、マツダの8%、伊藤忠商事の2%。

     ■フォード・マツダ・起亜3社の国際提携


中小型貨物自動車及びバス専門メーカーの指定を受けてから6年、起亜産業は乗用車市場に再参入を果たすと共に、
フォード向けOEM供給車としてアメリカにプライド(米国名:フェスティバ)の輸出を開始。
このアメリカ向けの「プライド」は、フォード・マツダ・起亜3社による国際提携をバックに、マツダが開発したモデルを
起亜が生産しフォードが販売を担当した。

     ■マツダ(日本)から起亜(韓国)への技術移転

マツダが開発した車を起亜が現地で生産する場合、部品については広島のマツダ系列の部品メーカーが、
それぞれ対応する業種の起亜の系列部品メーカーと提携し、日本の系列関係をそのまま韓国に移植しようという
試みが行われ、日本のマツダから韓国の起亜へと技術移転が行われた。

     ■起亜(韓国)から日本・アメリカへのOEM輸出

日本市場は近くて大きな市場である為、韓国の自動車メーカーにとって魅力的であったが、
単独の力で日本市場に進出するのはとても困難であった為、韓国車が日本市場に参入する1つの方法として
OEM輸出は日本進出の契機を作る意味で確実性の高い方法であった。

                       


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