あの衝撃から、約1年半…私が訪れたい、あの場所を目指して東北へ。
一ノ関駅で新幹線を降り、ディーゼルカーに揺られて、一路
気仙沼。
気仙沼から先は、震災の影響で列車が運休中なので、マツダレンタカーでレンタカーを借りて…と行きたいところだけど、
マツダレンタカーの気仙沼営業所もやってない?みたいなので、駅レンタカーで借りたトヨタ・ヴィッツ。
完全に「愛車でドライブ」じゃないので、今回のタイトルは【特別編】岩手県
陸前高田です。
ついに足を踏み入れた、陸前高田。
遠くから見ると、一見普通に建物が建っているように見えるんだけど…
実は、すべて津波被害を受けた廃墟。
私が一番来たかった場所へと向けて車を進めるが、閉鎖になっている道もあり遠回りで進む。
私が一番来たかった場所、それは「マイヤ」という名の地元スーパー。
テレビの映像などで見た方も多いかもしれないが、甚大な津波被害を受けたショッピングセンター。
建物の裏側が海側になるが、こちら側の状況が尋常ではない。
津波の力の恐ろしさを無言で訴えてくる。
阪神大震災の時は、自分が現地を訪れた時には、もう街は復興しているように見えた。
本当は傷を負ったままなのに、一見復興しているように見えただけかもしれないが…
だから東日本大震災の惨状は、この瞳で見ておきたかった。
10年後くらいに訪れて、昔津波があったんだよね。ではなく、この瞳で。
ここは陸前高田駅に近く、このスーパー「マイヤ」の他に、市役所やJA・NTTなどの建物が点在する。右の写真はJA。
先ほど全て廃墟と書いたが、たった1つだけ元の建物を修復して活用し、現役の建物がある。それはNTT。
陸前高田の市街地は、津波被害を受けて何1つ残っていないのに、NTTだけは元の建物を出来る限り修復して使用している。
それでも、この建物のガラス部分は未だにベニヤ板であった。
陸前高田市役所と、大勢の死者を出した市民会館。
陸前高田駅。何も残っていないけど、左の写真は駅舎が建っていた場所。左の写真は駅前ロータリー。
中央に一部だけ残ったオブジェと、アスファルトに残った駐車場の枠が、ここが陸前高田駅で合った証。
駅のホームは原形を留めている。むしろ、綺麗すぎるくらいに残っている。
やはり水の力では、このような構造物は壊れないか。
陸前高田駅から見える大きな病院、岩手県立高田病院。
駅から気仙沼方面を望むと、以前列車が走っていた光景が蘇るような錯覚に囚われる。
駅に近い陸前高田市街地。駅前は沢山の商店が並んでいたが、今では跡形もない。それでも車道と歩道は綺麗に残っている。
一旦、高台に上り、再び陸前高田市街地に降りようとした頃、どこかで見たバスがいた。
東京都交通局から無償譲渡された岩手県交通のバス。このカラーリングは都営バスそのまま。
再び市街地を走る。ガレキが尋常ではない高さで積まれ、まるで1つの山を形成しているようである。
沿岸部へ移動…
右の写真は、何かの駐車場で一番左が身障者スペースであった事が想像できるが、
この時は何があったのか分からなかった。後で地図で調べると、ツルハドラッグ高田店であった。
陸前高田でもっとも大きいホテル、「キャピタルホテル1000」。右の写真は、道の駅
高田松原。どちらも休業中。
「オカモト
セルフ」と書かれた看板。津波の被害を受けつつも、この看板を使い、この場所にセルフスタンドを再建して営業していた。
やはり人は強い。負けるな、東北。負けるな、陸前高田。
最後は1枚は、切られる数日前の「軌跡の一本松」。
|