第59回ルマン24時間耐久レース総合優勝車 チャージ・マツダ787B 55号車

 

 

[マツダ787B] 全長4782mm×全幅1994mm×全高1003mm・ホイールベース:2662mm
●エンジン…R26B型 4ローター 排気量:654cc×4 最大出力:700ps/9000rpm 最大トルク:62kgm以上/6500rpm

「挑戦なき戦いに勝利はない。3位2位をキープするつもりで走っていると必ず敗れ去るよ。」大橋孝至

「我々が作ったロータリーエンジンは絶対に壊れない。」松浦国夫

「飽くなき挑戦」山本健一

 

1991年の第59回ルマン24時間耐久レースでのマツダの総合優勝は、ファンの間では伝説のように語り継がれているが、

この要因の1つにもなっているのが、この年のマツダの境遇である。

マツダスピードは1974年よりロータリーでのルマン参戦を初め、十数回に及ぶ挑戦の中で改善に次ぐ改善を行い、

初参戦以来、着々と成績を上げてきたのだが、FISAによるSWC(世界スポーツカー選手権)参加車両規格の改定で、

3.5NAレシプロエンジン以外での参加は1992年以降不可能となったため、この年がREでの参戦が認められる最後の年となった。

実際には昨年、そして2年前にもこれと同じ様な話が出たのだが、期限が延ばされ1991年が本当に最後の年となったのである。

 

カーレースに限らず、スポーツの場面などでも、度々ルール改定などによる日本人を狙ったいじめの様なものが見受けられるが、

このルマンの規定変更は世界で唯一ロータリーエンジンを持つマツダにとって、日本車いじめならぬ、マツダいじめ以外の何物でも無かった。

 

(6/19)公式予選1日目の結果 (6/20)公式予選2日目の結果
787 18号車 6位 3分50秒398   787B 55号車 12位 3分43秒503
787B 55号車 9位 3分55秒470   787 18号車 17位 3分46秒641
787B 56号車 14位 3分56秒971   787B 56号車 24位 3分50秒161

 

この年のルマンは、3.5リッターNAレシプロエンジンで重量750kg以上ならハンデも無く、燃料の使用量にも制限の無いカテゴリー1と、

排気量の制限は無い代わりに、重量ハンデと燃料使用量に制限のあるカテゴリー2の2つのカテゴリが設けられた。

マツダスピードはカテゴリー2にエンターしたため、ロータリーでの参戦は可能な訳だが、重量制限により軽量なロータリーの特徴を

フルに生かし切れない上、使用する燃料の量にも制限があり、ロータリーエンジンの燃費が試されるレースを強いられる事になる。

 

マツダのマシンの時間毎の成績

現地時間
1991年6月22日16:00スタート
787B 55号車 787B 56号車 787 18号車
18:00(スタートから2時間経過) 9位 32周(0) 10位 32周(0) 22位 30周(-2)
22:00(スタートから6時間経過) 4位 90周(-2) 10位 90周(-2) 13位 87周(-5)
00:00(スタートから8時間経過) 4位 121周(-2) 9位 120周(-3) 14位 115周(-8)
04:00(スタートから12時間経過) 3位 181周(-3) 8位 179周(-5) 12位 173周(-11)
06:00(スタートから14時間経過) 2位 211周(-4) 6位 209周(-6) 10位 203周(-12)
10:00(スタートから18時間経過) 2位 272周(-3) 7位 266周(-9) 9位 260周(-15)
12:00(スタートから20時間経過) 2位 302周(-4) 7位 295周(-11) 9位 289周(-17)
6月23日16:00(最終結果) 優勝 362周 6位 355周 8位 346周

( )内はトップとの周回差。

 

途中経過はここに紹介している通りだが、実はこの年のルマンにはマツダの境遇ともう1つ、レース中のドラマがある。

それは、55号車が第2位を快走し、初の表彰台を目前にした午後1時前からレース終了の4時までの約3時間の話である。

 

このまま無理をせずに走れば2位で表彰台は確実だと言う人間がいる中、監督の大橋は攻めの姿勢に打って出た。

それは、55号車のラップタイムを1秒早くしろという指示である。これは前を行くザウバーメルセデスに警戒させ、

マツダもメルセデスも全力疾走する状態を作りあげた上で、お互いのマシンの耐久性を試す戦いに挑んだのである。

3位のジャガーは燃費の問題でこれ以上のタイムアップが無理な所まで来ており、まさにマツダとメルセデスの一騎打ちとなった。

 

両マシン共に極限状態とも思える攻防が続けられたが、結果はマツダの作戦勝ち。

メルセデスは午後12時54分に突然のピットイン、マシンは白煙を上げて完全に腰を据え、その間55号車は着々と周回差を埋めていく。

そして午後1時4分、55号車はついにトップに躍り出た。一方メルセデスは約35分のピット作業の後、コースに復帰したがすぐにリタイア。

こうして、大きなトラブルもなく快走を続けたマツダが日本車初の総合優勝を手に入れたのである。初のルマン参戦から17年目の快挙であった。

 

様々な不運に見舞われながら、事実上のRE最後となるこの年にマツダが総合優勝を飾ったのだから、奇跡・快挙・感動・狂喜乱舞である。

もちろん、日本車初の総合優勝であると共に、レシプロ以外のエンジンでルマンを制したのもこれが初めてである。

 

マツダスピードのマシン・ドライバー・成績等のデータは以下の通り。

No.55
マツダ787B [26B(700ps)・830kg以上]  V.バイドラー/J.ハーバード/B.ガショー  グループC(カテゴリー2)
周回数:362 走行距離:4923.2km
予選12位 決勝1位/総合優勝
No.18
マツダ787B [26B(700ps)・830kg以上]  S.ヨハンソン/D.ケネディ/M.S.サラ  グループC(カテゴリー2)
周回数:355 走行距離:4828.0km
予選17位 決勝6位
No.56 マツダ787 [26B(700ps)・830kg以上]  従野孝司/寺田陽次朗/P.デュドネ  グループC(カテゴリー2)
周回数:346 走行距離:4705.6km
予選24位 決勝8位

     

大橋孝至監督万歳!! 松浦国夫部長はREに自信満々!!

念願のルマン初優勝に山本健一会長は葡萄酒で乾杯!!

 

マツダのルマン参戦の歴史(1992〜2002)
マツダのルマン参戦の歴史(1992〜2002)


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