もう1つのマツダの意味が込められた"M2"があったビル。
ユーノスロードスターをベースにM2がチューンしたM2 1002などのリリースは有名だが、現在では活動は行っていない。


M2の活動終了後も、1階はマツダアンフィニ南東京の砧店として、2階・3階はマツダロータリー世田谷として使用されていたが、
1999年(と記憶している)にマツダロータリー世田谷は閉館。その後しばらくして1階のディーラーも閉鎖となった。

マツダロータリー世田谷もディーラーも閉鎖された後は、複数のマツダ関連会社が入居するオフィスビルとして使用されていたが、
2002年、ついにこのビルを売却。翌年3月から葬祭場として第2の人生を歩み始めた。

 

 
M2ビルの真ん中の一番上にある異様なモニュメント。浅草のアサヒビールに負けず劣らずの傑作である。

これ以外にも、このビルの造りは尋常でなく、特に男性用小用トイレは造りがバブル期真っ盛りで、
壁1枚分の大きさほどある(大人が数人並べる)小便器を1人で利用しても壁1枚全部に水が流れるという勿体無い仕組み。
もしかしたら雨水等を利用しているのかもしれないが、あれを人生で一度でも味わってしまうと他の事にあまり驚けなくなる程のスケール。

【 マツダロータリー世田谷について 】
  
「マツダロータリー世田谷」開館中の様子。
このビルが完成するまでは「マツダロータリー原宿」として、原宿にあったという。原宿から世田谷にお引越しとはなんとも贅沢。
建物2階の通りから向かって左半分は新車展示コーナーとして、右半分はマツダの歴代車種やレーシングカーなどを展示するショールームとして運用していた。

当時から、マツダの販売店以外のショールームというのは大変貴重であり、東京に1ヶ所、大阪に1ヶ所のみであったが、
とりわけ、自社ビルであり展示スペースの広いマツダロータリー世田谷は特別な存在であった。
その為、他では見かける事の出来ない大変貴重な車が展示される事が数多くあった。


エントランスには、後にリリースされ大ヒットとなる初代デミオのコンセプトカー「BU-X」が置かれていた。
この写真の右端に写る階段を上がると、2階がマツダロータリー世田谷ショールームである。

新車展示コーナーの片隅には"ご自由にお持ちください"のコーナーがあり、ディーラーで使わなくなった販促物やカタログ等が置いてあった。
時には、生産中止になった車種のネームプレート(ディーラーで展示する時にナンバーの部分に付いてるあれ。)があるなど、
マツダファンには涙物のレアグッズが沢山置いてあった。



 
定期的に企画展が開催され、ニューモデル発売時にはその車種に関連したものであったり、K360や初代ファミリアバンのようなヒストリックカー展示イベントもあった。



 
東京モーターショーに関する企画展では、1995年の第31回東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「RX-01」と、

1991年の第29回東京モーターショーに出品されたコンセプトカー、水素ロータリーエンジン車の「HR-X」が展示された。

 
レーシングカーのコーナーには、世田谷でいつでも見る事の出来る、貴重な787Bも展示されていた。

 
貴重過ぎて、管理人がマツダロータリー世田谷のみでしか見た事が無い車が、この「ランティスクーペJTCC仕様」。
とんでもなく貴重な車がシレっと展示されているのが、マツダロータリー世田谷の特徴であった。

【 M2ビル、その後 】※これより下、2015年12月撮影。
 
M2ビルは売却され、葬祭式場として元気に?第2の人生を歩んでいるのだが、
有り難い事にビルの改称は行われず、今日も「M2ビル」として運用されている。

 
屋上にある「M2」の大きな看板も付いたままになっている。
環八を車で走るとよく目に留まる位置に、個性的なデザインの建物があって存在感は抜群。

 
M2ビルをデザインしたのは、新国立競技場整備事業の優先交渉権を獲得したA案の一級建築士「隈研吾」氏だそうな。
そう言われると、全てに納得。


建物裏側の立体駐車場なども当時のまま。

 
建物入口にあった、M2ビルのテナントを示す看板と、「マツダアンフィニ店」の看板はそのまま使用している模様。

 

大阪支社・マツダロータリー新梅田
大阪支社・マツダロータリー新梅田


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