![]() |
![]() |
1997年に幕張メッセで開催された第32回東京モーターショー。
管理人が初めて会場に訪れた東京モーターショーで、あまりの面白さに2週間足らずの会期中に4回も訪れてしまった。
この年から各ブースでの派手なステージが認められた事もあり、車の魅せ方にも拘っており思った以上に楽しめた。
しかし本当の車好きにはカメラの方向に寄って来るコンパニオンは非常に邪魔に見え、車のみの写真を撮るのに大変苦労した。
◆ロードスター
この年の目玉は何と言っても新型ロードスター。
オープンカー市場が完全に冷え込んだ1989年3月にアメリカで発表され、同年9月からは日本国内でもリリースされた日本のマツダが世界に誇る名車。
その後、国内外のメーカーがオープンモデルを次々にデビューさせた、市場を一台で築き上げたモデル。
写真はその2代目にあたり、1998年の1月に正式デビュー。
ステージの前には、このような形で本革仕様を展示。
◆カペラワゴン
参考出品車として出品された後、11月に発売された2代目カペラワゴン。
先行して8月に7代目にあたるカペラセダンが発売されており、3ヶ月遅れてのワゴン登場となる。
動画配信中!! |
1997年
東京モーターショー マツダステージ (別ウインドウに表示します) ※All Mazda YouTube Channel → こちら |
◆コンセプトカー
「MV-X」
両側スライドドアを備えている事を考慮すると、次期MPVを意識して作られたものだろうか。
座席はセパレートの6席で、運転席以外は着脱可能というプレマシーの機能拡大版。
「SW-X」
ほぼ5ナンバーサイズの中に7人乗車であるため、2年後にデビューするプレマシーを意識したものと思われる。
尚、このSW-Xも7席のうち運転席以外が全て着脱可能で、運転席・助手席は180度回転する。
「MS-X」
スマートカードにより、ドアロック・シートアレンジ等を本人確認自動モードで解除・設定を行える近未来的セダン。
デミオベースの電気自動車、デミオEV。
第32回東京モーターショーが開催される直前の、1997年8月に発売された7代目カペラセダン。
助手席を前に倒すとテーブルとして使えるスペースアップシートを採用。キャッチコピーは"ワゴンを学んだセダンです。"
参考出品車として展示された2代目カペラワゴンがセダンより3ヶ月遅れて11月に発売され、ラインナップが出揃った。
このカペラシリーズは、世界初の頭部まで保護するサイドエアバックを全車に設定し、世界最高水準の安全性を売りにした。
1994年の歴代8代目のデビューから2年半が経ちビックマイナーチェンジを受けたファミリア。
それまでラインナップされていた個性的な3ドアの"NEO"をラインナップから外し、オーソドックスな3ドアハッチバックを発売。
キャッチコピーは"マイカー・イズ・スニーカー"で、プロテニスプレーヤーのアンドレ・アガシがCMに起用された。
左は、ミレーニア(手前)と2代目センティア。
当時ミレーニアはユーノス800からネーミングが変更された直後で、変更点はユーノスのエンブレムが"M"エンブレムになった程度。
奥の2代目センティアはMC直後で当時のマツダ最高級車。デビュー時のショーンコネリーのCMは印象的だったが、販売台数は対照的に。
右は、マイナーチェンジを受けたプロシードキャブプラス。
既存のコンパクトセダン「レビュー」をベースに、既存のエレクトロニクスと、新しい発想の組み合わせで見事に大ヒットを果たした初代デミオ。
発売直後からマツダの救世主に成長しており、数々の限定車が数千台単位で次々リリースされたお化けモデル。
写真右は、1997年にリリースされた限定車「GL-Xスペシャル」。
1989年のオートザム店オープンに合わせてデビューしたオートザムキャロルの新型(1995年発売)。
1962年"キャロル360/600"が初代とするならば、1989年に2代目、写真のモデルが1995年デビューの3代目となる。
マツダはこの時、既に軽自動車用エンジンの生産は行っておらず、スズキアルトのエンジンやプラットフォームの供給を受け、
自社製ボディを載せてキャロルとして販売していた。それでも販売台数的には当時のマツダの主力だった。
フォードブースに出品された4代目テルスターと、2代目テルスターワゴン。
カペラセダンとカペラワゴンの兄弟車。